女傑・ヒシアマゾン逝く
平成末期、最後の最後にして訃報が飛び込んでまいりました。
平成初期、ナリタブライアンと同世代で競馬を大いに沸かせた女傑・ヒシアマゾンが老衰のため亡くなりました。
28歳だったとのことで、大往生かと思います。
サラブレッドにしては非常に長命と思いますが、やはり寂しいものがあります。
ヒシアマゾンが活躍した時代、当方は中学生時代を過ごしておりました。
今回の訃報のニュースを聞き、中学生時代の思い出が走馬灯のように蘇りました。
ヒシアマゾンが走った翌日、中学校でこんなことをあったなー、と。
深い感慨に浸った一日でした。
それもそのはず、当方が小学6年生のときにデビュー、中学3年生の冬に引退した馬です。
当時は、現在のような血統の知識もなく、単純に「強い馬が勝つ!」と思って競馬を純粋に楽しんでいたと思います。
ヒシアマゾンは所謂殿堂入りをしておらず、また「クラシックレース」を勝利していない馬ですが、記録よりも「記憶に残る馬」でした。
ヒシアマゾンと自身の中学生時代を思い出し、深い感慨に浸った一日でしたので、ヒシアマゾンの思い出を書いてみたいと思います。
歴史に残る1200メートル戦での追い込み!クリスタルカップ(G3)
とにかく凄いんですよ、このレース。
岡部騎手が完璧に乗った「タイキウルフ」をゴール前強襲しました。
何が凄いって、一杯になっていない逃げ馬を追い込み一辺倒で差し切ってしまいました。
当時、中学校に入学したての当方、テレビを見て大きな衝撃を受けた記憶を完全に思い出しました。
まだ未見の方は是非レース映像をご覧ください。
G3戦ながら、ヒシアマゾンベストレースに挙げる人も多く、また長い競馬の歴史において最大の衝撃を受けたレースに推す声も根強いレースです。
1994年4月16日 中山11R 第8回クリスタルカップ(GIII)
重賞5連勝で挑む!オークス馬をねじ伏せたエリザベス女王杯(G1)
当時は内国産サラブレッドを保護する政策をJRAが取っており、外国産サラブレッドであったヒシアマゾンに「桜花賞」「オークス」の出走権はありませんでした。
当時起こった論争が「ヒシアマゾンと(オークス馬)チョウカイキャロルどちらが強いか!」という論争でした。
中学校の友人達とも意見が割れておりましたが、当方は「ヒシアマゾン派」でした。
微かな記憶ですが、友人達も「ヒシアマゾン推し」が多かった記憶があります。
2頭が初めて激突したのが「エリザベス女王杯」でした。
歴史に残る2頭のデッドヒート、未見の方は必見です。
当方も30年ほど競馬を見ておりますが、1994年のエリザベス女王杯が未だに「ベスト・エリザベス女王杯」です。
ナリタブライアンを全力で追いかけた有馬記念(G1)
上記エリザベス女王杯終了後、ヒシアマゾン陣営は有馬記念に挑戦しました。
ナリタブライアンを懸命に追いかけた姿に心を打たれた方も少なくないかと思います。
当時の当方、発売されたばかり「プレイステーション」が欲しくて欲しくて、欲望を抑えるのに必死だったことも思い出しました。
1994 有馬記念 最強馬 ナリタブライアン 完勝 女傑 ヒシアマゾン 2着 ライスシャワー 3着 大逃玉砕 ツインターボ
圧巻のオールカマー(G2)と京都大賞典(G2)!
翌年、ヒシアマゾンは「海外挑戦」のプランもありましたが、結果的に春を全休しました。
夏の高松宮杯で復帰、休み明けは5着に敗れたものの、伝統のG2レース、オールカマーと京都大賞典での圧巻の走りは語り草になっております。
ちなみにオールカマーは台風の影響で月曜日に施行されました。
当時、中学2年生だったのですが、この月曜日、よーく覚えております。
授業が全くと言っていいほど頭に入りませんでした。
オールカマーが気になって気になって、下校のチャイムが鳴った途端にダッシュ!
テレビ中継がないため、街中の「WINS」でモニター観戦しました(笑)
本当に懐かしい思い出です。
ジャパンカップで日本現役最強馬の称号得る!
故障後、精細を欠くナリタブライアンに代わり、一気に現役最強馬候補になりました。
1995年のジャパンカップで日本馬最先着を果たし、名実共に現役最強馬となりました。
有馬記念でヒシアマゾンが負けたら〇〇する!
1995年の有馬記念では、ナリタブライアンを抑え、堂々の一番人気になりました。
当時は中学2年生、勿論馬券を購入することはできません。
ヒシアマゾンが勝利することに滅茶苦茶自信のあった当方、ヒシアマゾンが負けたら〇〇する!とクラス中に吹いていた記憶はあるのですが、具体的な「〇〇」の内容は思い出せません。
何だったかなー?
有馬記念は12月24日だったので、そのまま冬休みに入り、有言実行されぬまま翌年を迎えたことを思い出しました。
女傑のプライド!斜行しながら走った最後のエリザベス女王杯!
晩年は気性難が災いし、精彩を欠きましたが、斜行しながらも2着に食い込んだエリザベス女王杯は忘れられないレースです。
結果、降着処分となりましたが、牝馬限定戦では負けられない「女傑」としての「プライド」を見せつけてくれました。
思えば最後の中学生活、初冬を迎えておりました。
今振り返っても「女傑の中の女傑」まさにアマゾネス!
訃報を聞き、ヒシアマゾンの過去のレースを振り返り、大きな感慨を抱いた一日となりましたが、本当に強い馬だったという認識を改めて強くしました。
☆ 1,200メートル~2,500メートルで馬券になる。
☆ 馬場状態を問わず激走する。
☆ 競馬場を問わず激走する。
本当に「女傑」「アマゾネス」という言葉がピッタリの馬でした。
ヒシアマゾンが引退した年、当方は高校に入学します。
高校では「東京競馬場の側に住むため」だけを目標にして、親を黙らせるために東京の一流大学を目指すことになるのですが、その契機はヒシアマゾンが創ってくれたような気もします。
一般的な会社員になると「転勤」があるため不可、東京競馬場の側に住み続けるため「個人事業主」になろう、と人生の選択が続いていきます。
であれば、当方の人生に多大な影響を与えたサラブレッドと言っても過言ではないかもしれません。
ヒシアマゾンが老衰で亡くなったニュースを聞き、自分もおっさんになったことを改めて実感した次第です。
自分自身、残された僅かな時間を精一杯楽しんでいきたいと思います。
平成の最後の最後にこの世に別れを告げた「女傑」に深い感慨を覚えます。
ヒシアマゾンの冥福を心よりお祈りいたします。